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芸能が「お・も・て・な・し」の国

はじめに地図で沖縄の島々をご覧ください。沖縄は本島・宮古・八重山地方という3つの島しょ地域から成り立っており、また現在は鹿児島県となっている奄美大島も琉球文化圏に属します。
   

沖縄の文化は日本文化の大きな枠組みの中の一つとされていますが、本土から遠く離れた地理的条件のもと、本土とは異なる発展をしたために独自性の強いものとなっています。たとえば沖縄の言葉は標準的な日本語とはかなり異なります。それは古い時代に日本語から枝分かれしたためと考えられ、意思疏通が難しいほどですが、こちらでは使われなくなった日本の古語が沖縄の言葉に残っているのがみられます。
 

14世紀末から19世紀後半、明治の始めまで約500年にわたり琉球王国という独立国が存在したことはご存じのことと思います。琉球王国は日本・中国・朝鮮・東南アジアの国々との貿易によって15世紀ころに最も繁栄し、諸外国の文化を吸収しながら琉球文化を築き上げました。その後17世紀はじめに日本の薩摩の支配下となってからも独立国としての形を保ち、日本や中国との交流を続けるなかで芸能が外交手段のひとつとして重要な役割を果たしました。

特に琉球王国は中国と冊封関係にあり、中国から冊封使を迎えるときには琉球音楽や中国系の音楽(御座楽)・舞踊・組踊でもてなしました。また国王の交替や徳川将軍代替わりのさいには江戸へ使節団が派遣され、その中に芸能を披露する楽士や楽童子たちが参加しました。音楽・舞踊・所作・唱えからなる沖縄独特の歌舞劇ともいえる「執心鐘入(シュウシンカニイリ)」といった組踊の誕生も、「作田(ツィクテン)」、「諸鈍(シュドゥン)」に代表されるような古典音楽や古典舞踊の洗練された形の美も、こうした国家事業によりもたらされたものともいえます。

明治維新後は、王国時代に芸能をになっていた士族から一般大衆へと広まり、数々の民謡や雑(ぞう)踊りがうまれました。第2次大戦後の焼野原で人々を元気づけたのも舞踊や芝居といった芸能でした。また沖縄では各地方の村々で行われる祭祀芸能も数多く、民俗学的に貴重なものもあります。組踊、琉球舞踊、琉球古典音楽は国指定の重要無形文化財に指定されており、三線音楽の分野を含め琉球芸能では5名の方が人間国宝となっています。現在、伝統は若い世代に受け継がれ、意欲的な創作も含めた新たな舞台が日々幕をあけています。

 

 

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首里城正殿上部
能舞台(銕仙会)で催された公演チラシから
整備がすすめられている首里城公園
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